猛将・真田幸村最期の地 (大阪市・安居神社)

家康襲撃に失敗(?)したあと、幸村は茶臼山本陣からさほど離れていない安居神社まで退却した。
すでに負傷しており、体を休めねばならなかったからだ。
神社の境内にある一本松の根元に腰を下ろして間もなく追手が来た。
イメージ 1
もう一歩だった。
家康の目前まで迫り、秘密兵器の速込め式短銃で仕留めるはずだった。
しかし、運命は家康に味方した。
馬上での弾装填の際、短銃を取り落としてしまった。
予備の銃はない。
結局、作戦は失敗し、ここまで退却することになった。
手勢は少ない。
イメージ 2
越前軍・西尾宗次が幸村を発見、槍で斃された。
この際のやりとりは判らない。
ただ、西尾は家康に激闘の末討ち取ったと報告しており、幸村公の最後が武人に相応しかったことを想像させる。
イメージ 3
幸村公戦死碑には真田の六文銭を象った50円玉の供え物があった。
この人、センスあるなと思い、笑みが出た。

https://maps.google.co.jp/maps?oe=utf-8&hl=ja&client=firefox-a&ie=UTF-8&q=%E5%AE%89%E5%B1%85%E7%A5%9E%E7%A4%BE&fb=1&gl=jp&hq=%E5%AE%89%E5%B1%85%E7%A5%9E%E7%A4%BE&hnear=%E5%AE%89%E5%B1%85%E7%A5%9E%E7%A4%BE&cid=0,0,6953803037910587424&ei=_Ds1Uo1IkJeJB_vAgYAL&ved=0CJUBEPwSMAo