検察審理会は「正義の味方」たる存在になれるか

警察副所長の起訴に小沢幹事長の起訴など、検察が起訴を見送った案件に対して
「市民目線」で方向性を出していく。

こうした機構は確かに必要だが、失礼だが”全会一致”というのに危うさを感じざるを得ない。
いわゆるテレビや新聞による情報と庶民感情による方向性の提示や果ては強制起訴などは根拠があるのかと疑問に思う。

世間による「私刑」が公の場で行われることになる。
高感度の低い政治家や露出の多い立場の人間はあらかじめ作られたキャラクター通りの判断をされてしまうのである。

集団ヒステリーによる誤審などを招きかねないのだ。

小沢幹事長の件は何か新証拠なり、新事実なりがあってこその起訴相当、再捜査ではないかな。
思い込みとイメージでの起訴相当はちょっとやりすぎと思う。