今では存在そのものが疑われている
聖徳太子の墓が
大阪府太子町にあります。
推古天皇のお子さん、竹田皇子あたりが主なのかも知れません。
扉の行き着く先はどんなところなんでしょうか、
宮内庁の敷地なので近年の調査はされていないようです。
(
聖徳太子のお母さん、
聖徳太子本人、お妃さんの3つの石棺が安置されている、とのこと。)
墓のあるこのお寺、叡福寺は信長の時代に焼き討ちにあっており
現在の建物は1600年代に再建されたもの。
十七条の憲法の精神は聖徳太子がいる、いないという議論を超えて現代に生きる日本人の考え方のベースとなっており、そのシンボルとしての聖徳太子はやはり日本人の心のなかに確かにいると言えるでしょう。
物事は何でも「和を以て貴しと為す」であります。